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中川富田店 感謝祭

和菓子への思い

■私の和菓子への思いは2011年までの間常に変化しておりました。 しかし、2012年代表に就任したことをきっかけにその思いは、おそらく この先も変わらないだろうという固い思いとなりました。 「生きているお菓子」を作りたい。
お客様の思いと我々作り手の思いが重なることのできる命ある菓子を…!

1997年、修行先から名古屋に戻り家業の和菓子屋を継ぐこととなり
当時干菓子の卸売業を主軸に商いをしていた「小桜屋一清」を自分はどう変えていこうかと悩みました。
もともと家業を継ぐきっかけになったのは、母のエビソードが始まりでした。多くのお茶人さんがうちの干菓子をお稽古に使ってくれていましたが、大きなお茶会の席には なぜか注文が入りませんでした。それは茶会ではどこのお菓子屋さんのものなのかという事も重要なことで、名の通ってない弊社の菓子は美味しいのは認めるが使えない…とのことでした。その度にお客様と接する母は辛い思いをしていたのでしょう。それを学生時代に聞いた私は、まったく稼業に対して関心がなかったのに発奮した覚えがあります。「有名店になろう!お茶会に堂々と使っていただけるような菓子屋を作ろう。」そう決めたのです。8年間の修行生活を終え実家に帰ると、当時2坪のお店がありました。もちろん生菓子はありません。1年かけて私にできること。作れる菓子を考えました。そしてある時、今後の販売形式を考えようとパッケージ関係の業者さんに来ていただきました。それが人生初めての屈辱を味わうことになったのです。
その営業の方が2坪のお店を見渡し、「ちゃんとお菓子が作れるのか?出来る状態になってから連絡をくれ。」とろくに話も聞かずに帰っていきました。そのころは私も若く、プライドを傷つけられた思いでいっぱいだった覚えがあります。それがきっかけで、30歳になった春先に勢いで10坪ほどのお店を作ったのです。しかし代表商品を置くこともなく、経営方針も立てずにお店を開店したわけで上手くいくわけがありませんよね。3年間は鳴かず飛ばずの逆境時代を送りました。今思えばその3年間が一番私にとって、がむしゃらに生きた時期でしたね。製菓学校に通い始め、もう一度一から基本を学び、製菓理論を叩き込み

「お菓子はどうやって作るのか?」ではなく「お菓子はどうしてできるのか?」

を徹底的に勉強しました。
それで変わったことは菓子作りが楽しいと思えたことですね。楽しいと思えた時、次々といろんなものが見えてきました。それも面白いくらい次々と・・・
その当時名古屋の和菓子屋さんでは、自社のホームページ持っているところが極端に少なく、もともとコンピューターに興味があったので、自社サイトも構築しました。

そのサイトに商品をのせるために、新商品も沢山考えました。その甲斐もあってか、
テレビ・雑誌などからの取材が入るようになり、百貨店出店のオファーにつながっていきます。

■創作菓子への進化

お誕生日といえば普通ケーキですよね。しかし現代のお子様にはアレルギーを持つ方が多くみられます。そんなお子様を持つ親御さんが、どうしてもケーキを食べさせたいと特定原材料の入らない菓子を作ってもらいたい。そういった切実な思いが私のところに入ります。それも年々増えていく状

高史1

況であります。
ここ数年はそういったアレルギー対応のケーキだけではなく、たんに和菓子が好きで、お客様の思いを形にする創作ケーキのご依頼も頻繁にいただけるようになりました。
創作ケーキを承る際には、お客様に店舗に来ていただき両者納得のいくまで打ち合わせをいたします。時に数回お会いし、思いが重なった時初めてデザインを起こします。製作に入る前には必ずイメージを描くようにしています。そしてテーマを文字で表現します。これもイメージ作りと思い菓子に吹き込むための重要なステップとなります。そこまでするとご希望の時期に製造がスムーズに運ぶわけです。 基本的には私は食べれない素材は一切使いたくありませんし、観賞用の菓子の材料も使いません。俗にいう「工芸」用の材料を使えば腐敗することもありませんので、製造期間を長く持つことも可能ですし、リアル度も増すことでしょう。しかし私は「作品」を作っているつもりはありませんし、食べて喜んでいただける「商品」を作りたいのです。
この曲げることのできないこだわりを持つ以上、製造できる期間は1日が勝負。戦争です。これらの作業は、とても大変そうに見えるようですが、私にとっては至福の時であり娯楽でもあります。楽しいんです。 小ざくらや一清本店の壁に「菓楽」という文字を刻んである意味は、お客様へのメッセージではなく、菓子作りの基本は作り手が楽しむというところからきています。以前私が講師という立場でお世話になっていた大学の学長が

「楽しくなければ学校じゃない」

というテーマを大々的に掲げていました。残念ながら今では校舎の壁に刻まれてはいませんが、初めてその言葉を見たとき、震えた覚えがあります。 お客様一人一人の思いが菓子になるとき、作り手が楽しくその思いを菓子にする事が出来た時、出来上がった菓子でお客様が幸せな気分になった時、その笑顔を見ることが出来た時、そして最後に食べて美味しいと言っていただけた時、その瞬間初めて私の『生きている菓子』が完成いたします。のちの菓子業界を担う若者たちによくいう言葉があります。

「菓子の向こう側にあるお客様の笑顔こそが本当の菓子なんだぞ」

その本当の菓子を作りつづけるために、私は今後も学ぼうと思います。 最終的には一生一品ともいう菓子を作り上げること。菓名は『菓楽』
その名に恥じないものを菓子人生にかけて作るつもりで精進してまいります。

小ざくらや一清 伊藤 高史

お菓子は乃しく食べて幸せ だから楽しくおいしく作らなきゃ

4代目の部屋